産みの苦しみを実感した話

半年くらい前に出産を経験してきました

初産だったので何もかもが初めてで、陣痛初期は未来の日本を背負う子を産んでくる!なんて言ってましたが、想像以上に人格が変わる出来事だったのでお伝えしたいです。

 

 

鼻からスイカとは本当?

まず痛みについてです。リアルな出産ドラマや体験エッセイで心構えして挑みましたが、それ以上です!その5倍は痛い!!

私の場合、前日から微弱陣痛が続いたので当日入院してすぐ促進剤を投与。点滴に切り替えてから破水し、会陰切開や鉗子分娩を経て出産しました。突然の出産ではないので意識や自分の状態も理解してます。呼吸法も頭には入ってます。それでも痛い!

“みんなやってることなのに。これ以上痛いことあるの?ミジンコになりたい” と思ったら出産の瞬間にはもっと痛い!それが鼻からスイカな痛みでした。骨を砕くような“あっお尻なくなった…”と放心状態に…。

 

 

痛みをまとめると…

生理痛のような痛み→生理痛+脳にギンギン響く頭痛→ローラーで下半身を轢かれるような悶絶する痛み→声を出さないとしんでしまうような交通事故が下半身で起こる→鼻からスイカ→気付いたら出産!といった流れでした。

 

 

さらに今なら会陰切開の抜糸なども!

痛みが壮絶だったことをお伝えしましたが出産の感動を邪魔する会陰切開という地味に痛いものもつきものです。

案の定私は何の準備もせずに挑んだのでバッチリ切られました。右足側に向かって5cmくらいはあるかもしれません。これを縫うあいだがともかく痛かった!なんといっても針ですものッ!しばらくは怖くて触れないくらい腫れますし、座るのも歩くのも大変でした。

 

 

それでもまた子供がほしい

実際に娘に会ってみるとエコー写真ではわからなかった顔立ちや仕草に驚いたりします。ゆっくりですが着々と大きくなる娘に驚かされます。

産まれる前は来年は一緒に花火をみようねだとかお腹に話しかけていたことが次々と実現する!すごい!うちのこ本物がいる!夢みたい!二度見しちゃう!

 

 

産みの苦しみの先には壮絶な育児

産まれてからはさらに母の偉大さを痛感します。新生児の授乳間隔はかなり狭く頻繁で寝不足なところに様々な問題が飛び込みます。抱っこの仕方、授乳角度、寝かせ方、助産師さんの指導に従っても人によって指導がちがいます。何をやっても手探りで辛いです。産まれる前には想像がつかなかった悩みがたくさん出てきて、たくさんの人の手を借りることになります。

 

実母や義母の育児経験を聞くことで参考にしたり、母への見方も変わってきます。あんな産みの苦しみを体験した上で、身を粉にして育児をしたお母さんがたくさんいることに驚きます。

 

 

最後に

歴戦のお母さん勇者たちよ…私を産んでくれてありがとう。新生児の娘は記憶の中の宝物です。不思議と痛みのことは半年経つと忘れています。産んだ直後は怖かったのにもう二人目がほしくなります。忘れてしまうくらい育児の幸せを実感しますから何も心配いりませんよ。

 

トリマー専門学校に通ってみた

高校卒業当時、ともかく犬猫が好きという理由で諦めきれずペットショップ経営のトリマー専門校に進学しました。親の反対も特になく、学力テストもなかったのであっさり進学。四月から通うことになりました。

 

一週間のうち、三日間が学科

主に犬の体の構造、病気などが多かったと思います。夏休みには犬のスケッチの宿題もありました。残り二日間は実際にカットの練習をします。ハサミの持ち方や爪切りの持ち方からやるので初心者でも安心です。

 

二年目からは毎日カット実習

大型犬の場合は6時間程かかってしまって、バイトまでの時間がギリギリだったりしました。後半はプードルが多くなります。

 

国際ライセンスについて

二年間学校にいることで国際ライセンスの資格試験を受けられます。授業をきちんと受けていれば学科試験は簡単。プードルカット実習は普段通りできていれば合格です。

 

トリマーを志している方へ

もし今トリマーを志している方がいれば通う前に一度アレルギー検査を受けることをおすすめします。私のように実際に進学してからじんましんで苦しむことになったとき、本当に大変です。

私は結局アレルギーのため、トリマーを職業にすることはできませんでした。趣味程度の技術は身についたので実家の犬の手入れは一通りできます。

トリマーは基本的に職人さんの技術職です。正規採用までは時間がかかります。師匠にあたる上司に恵まれず退職に追い込まれることもあります。待遇に恵まれず全くちがう業界に転職していく人間も多いです。

一人で犬に向き合うので脅しつけたり煽てたり上手く付き合わなければいけません。なかなか厳しい世界です。学校を卒業して資格に合格しても就職先がない場合もあります。ゆっくり考えて人生設計をした上で決断してください。

お年寄りわんこのごはん問題

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我が家のワンちゃんはご飯が大好きでたくさん食べすぎるほどでしたが、老犬になるとやはり食欲が落ちてしまうことがありました。好き嫌いも加わって一食に何種類もの手作りごはんを用意したこともありました。そんなときにおすすめなのはいつもとちがうごはんです。

 

いつもと少しちがうごはん

例えばドライフードを主に食べるわんちゃんにはウェットフードを。ウェットフードの子にはドライフードを。食感が変わるだけで食欲がどん!と上がることがあります。他には顎が弱ってきた子にはドライフードを一度水につけてレンジで温めるのも効果的です。香りがでて食感もちがうので好評でした。ドライフードの中には小魚が入ったものもあります。意外とこの小魚が好評で、ときどきおやつに用意すると躾にもなって良いです。猫のえさでカニカマが入ったものも気分転換におすすめです。

 

 

手作りごはんにチャレンジ

次にドッグフードを拒否された場合、手作りごはんしかありません。普段から取り入れている方は簡単ですが、ドッグフード信者の我が家では意外と大変で薄味かつ栄養が高いものを必死に探しました。サーモンパウダーやマヌカハニー、鹿肉など工夫を凝らしましたがあまりお好みではなかったようです。

 

 

気をつけてほしいもの

  • もやし。必ず細かく刻んでください。消化不良を起こしやすいのでお尻からそのまま出てきてしまいます。

 

  • みかん。消化不良で戻してから苦手になりました。

 

 

おすすめのもの

  • 生野菜はおすすめです。とても食べやすいのでキャベツやレタスにんじんジャガイモなどを茹でてあげると簡単です。

 

  • ひきわり納豆。発酵食品はおすすめです。我が家では母が納豆好きで、うらやましく思っていたみたいです。

 

手作りフードは自己責任ですので、それぞれ合ったものを気をつけながら探してみてください。

 

おじいちゃん

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

 

私のおじいちゃんは港町に住んでいて夏休みにはそこに預けられていました。おばあちゃんと二人暮らしで初孫の私はとても可愛がられました。おじいちゃんの自慢は頭がいいこと。田舎なのでもちろん進学率は低く、おじいちゃんはおそらく中卒でした。それでも小さな私にとってはおじいちゃんは先生でしたし、何でも知ってる最高のおじいちゃんでした。

当時の私の住まいは住宅地のアパートだったので開けた大きな庭やカブトムシの集まる大きな木、きらきら揺れる田んぼ、トンボのいる畑、大きなスイカの種を遠くに飛ばせるように頑張った縁側、田舎の自然は私には新鮮な癒しでした。犬の散歩、海水浴、かまくら遊び。楽しく過ごした思い出ばかりです。

 

おじいちゃんはもう病気で亡くなりましたがおばあちゃんは健在です。今でも遊びにいくと出迎えてくれます。手入れをする人間がいなくなった田んぼや畑は雑草でいっぱいで、人気のない家は寂しそうです。それでも木の揺れる風景や、遠くの海は変わらずきれいです。おばあちゃんがにこにこと近況を聞いてくれるうちは私は通い続けると思います。

 

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先月海水浴に行ったときの写真です。なぜか海をみると今でもほっとします。落ちこんだときには海の音を聞いてほっこりします。

工場勤務だった頃の思い出


20代前半頃の話

二年ほど地方の製造会社で働いていました。会社自体はフレンドリーで面接してすぐに採用される小さな会社で、新卒間もない私は何件か面接を受けるつもりだったのに、あっさり一件目で決めてしまったのです。


仕事自体は繊維系の布地作りの仕事で昼食を除いて毎日おなじ作業、初日に持っていったペンとメモ帳はまったく使いませんでした。
長い一日を薄暗い強烈な機械音のする工場で過ごすのです。耳栓必須、汚れあり、冷暖房なし。昼間のおしゃべりが楽しかったので何やかんや一年あっという間に過ぎていきました。


新入社員の年上お兄さんがドンピシャ

涼しい顔した30代イケメンだったんです。イケメンがきてから後ろでいい匂いがするだとか男子トイレ掃除が苦痛じゃなくなったりだとかわくわくが増えました。バレンタインにチョコを作ったり雑談したり緊張ばかりでそれしか覚えていません。お兄さんの新情報を周りの主婦層に聞いてもらって喜んでました。


二年目夏でようやく退社を決意

夏場の暑さで肌荒れが上半身に大きくできたので退社を決意。ブラジャーがつけられない荒れ様でした。これ以降汗が苦手です。

 


婚活を開始

お兄さんに子供扱いされてるのは知ってました。それなら別の人探せばよくない?ということで婚活を始めました。ネット婚活の末、今の主人と付き合い始めました。


冬にひっそりと退社

その後お兄さんからラインで連絡がありましたが発展はせず、淡い恋心だけが残ったまま今に至ります。今ではあの人はおなじ地域に住んでいた幻だったんじゃないかと思います。

 

 

結局のところ

あまり工場は根気強くやるものでもないのかなといった印象です。勉強になったのはスピーカー化した奥様の話を流す技術だけで職人といわれてもおなじ業界職種につくのは難しいです。

あがり症が靴屋さんになってみて

勤務二年の若輩者ですが、これから就職や転職で靴屋になる方の参考になれば幸いです。


まず靴屋になった理由

自宅近くで週休二日で女性にできる仕事を探した結果でした。たまたま欠員のあった靴屋が拾ってくれました。それまでは工場職やカフェ、専門職など転々としていました。私の場合は高卒パートなのでめちゃめちゃ給料が安いです。休みは平日が主です。

 

仕事は意外と力仕事です!

大きな長靴の箱を走って運んだり、商品を何箱も持ってうろうろは日常です。靴の入荷があると一足の靴デザインに対してサイズ別に4〜5箱あります。縦積みして売り場まで運びます。初心者はそれだけでも大変です。在庫に入れる場合は端から順に動かすので腰や膝に負担がかかります。
妊婦さんはやめた方が良いですね。


接客はひたすら言葉使いに注意!

敬語はできても接客業独特の言い回しがあります。動作にも基本的なものがあり、それを守らなきゃいけません。客層にもよりますが、小さな子供以外にはひたすら敬語です。クレームや横暴なお客様にも対応します。値下げ要求のお客様も多いですし、説明をあまり聞いてくれないお客様もいます。
特に防水商品は言い回しによってはクレームを招きます。コミュ障の私でも慣れれば大丈夫でしたが、最初の頃の先輩方やお客様の冷たさは強烈でした。メンタルをやられます!


商品知識が必要!

どんな仕事も基本知識が必要です。
靴の場合、メンズ、レディース、子供靴、長靴などのサイズ知識や革靴の手入れ方法、おすすめ商品の配置、在庫場所、展示場所、用途に合わせた進め方が必要です。

商品知識についてはネットや専門書籍があるのですぐに情報が集まります。

 

それぞれに担当部門がつきます!

店長の方針によってはつかない場合もありますが、紳士部門や女性部門など担当の売り場があります。欠員補充の場合はすでに決まっていることもあるので面接で聞いてみても良いんじゃないでしょうか。

 

まとめ

足腰の強い根気のあるタイプには向いた職業だと思います。私のように工場でひたすら作業を繰り返していた人には、きらびやかで華やかにみえた職業だったので最初のうちはギャップやもどかしさで辛く思えました。でも覚えるだけで接客の幅が広がってお客様に感謝されるのはとても楽しいですよ。求人広告みたいになりましたが、参考にしていただけると嬉しいです。

 

 

子供の頃の話

私は幼い頃、とても臆病でいつか親に捨てられるような恐怖で母から離れると号泣するような子供だった。それでいて落ち着いた子供で話し下手。保育園の先生からは「親がおしゃべりだから子供は無口になったんだ」と言われるほどだった。大人にしてみればひとり遊びが上手で買い物食事に行っても騒がず物欲もない扱いやすい子供だったと思う。それでいて子供独特の自分は特別お姫様という空想で溢れていた。小さな一軒家はお城で自分はそれとなくお金持ちの家庭に生まれた令嬢だと思っていた。


母は私に付きっきりで専業主婦をしていた。きれいな母は私の自慢だった。でも心のどこかで嫉妬していて「私はどうしてこんなに醜いんだろう」と卑屈ぶり「大人たちは私が小さいから可愛いと言うんだろう」と嘲笑っていた。子供なのでそこまで辛辣に考えてはいないが判別はついていた。社交辞令だと。両親も例外ではなく特別可愛く私が見えている人という認識だった。それでも好きだし離れたくなかった。母の痛みは私の痛みで、私の苦しみは母の苦しみだった。


ある日好きだった男の子に小学校の廊下でキスされた。生まれて初めて男の子に好意を向けられた。私は恥ずかしくもあり、誇らしいと思って全力で教室に戻ってお友達に報告した。私はとうとう王子様が来たのだと有頂天になった。ませた子だ。本当に恥ずかしい。クラスメイトは大喜びでそれから私たちは公認のカップル扱いになった。


二年が経った頃、その男の子は他の女の子に告白していた。とてもショックだった。王子様が突然私の友達と両想いになり、しかも私は蚊帳の外になったのだ。子供心に身を引くしかないとすぐわかった。

私は子供だからキスをされて、それ以上先に進む方法が分からなかったのだ。手を繋ぐのは当たり前。一緒に帰るのも当たり前。そういう仲良しの先なんて想像つかなかったのだ。


私はこの時の話を母にしなかった。それほどまでにショックで悲しくプライベートな出来事だった。私は確信した。気弱な人間には損することしか回ってこない。強く生きようと心に強く思った。



大人になってもそのときどんな風に男の子と仲良くなれば良かったのかわからない。

子供らしい一歩の踏み方は子供しかできない。